「いのちのパン」10月22日

聖日礼拝メッセージの要約(2023. 10. 22.)

「いのちのパン」

ヨハネによる福音書 6章41〜51節

 

よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。わたしは命のパンである。(ヨハネ6:47〜48)

 

1、神につぶやく人

ユダヤ人たちは、主イエスが「わたしは天から下って来たパンである」と言われたのを聞いて、主イエスについてつぶやきました。彼らは、主イエスのみことばを信仰的にではなく、肉的に理解したのです。彼らのつぶやきは、彼らの先祖であるイスラエルの⺠の荒野での姿を思い出させるものです。荒野での⺠は、神様が天から降らせたマナという食物に感謝をせず、つぶやきました。彼らはマナをただ物質的に理解しました。神様を日々信頼して歩むこと、すなわち、神様への信仰を学ぶことはなかったのです。彼らの不信仰は、つぶやきという形であらわれたのです。

 

2、神に教えられる人

主イエスは、「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない」と言われています。父なる神は、聖霊を通して、私たちの心に働きかけて、私たちを主イエスのもとへと引き寄せてくださるのです。それは、人間の力ではなく、神様の恵みによるのです。また、主イエスは、「預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある」と言われています。神様に教えられるには、神様と真剣に向き合う砕かれた柔らかい心が必要です。主イエスは言われます、「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」(マタイ18:3)。

 

3、神によって生きる人

主イエスは、「わたしは命のパンである」と言われています。主イエスは、十字架の上で、ご自身のいのちを捨てることによって、私たちの罪を贖い、神様との交わりに生きるようにしてくださいました。さらに、主イエスは、「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう」と言われています。ユダヤ人たちは、主イエスにつぶやき、激しく批判しました。そんな彼らに対して、主イエスが求めたことは、ただ一つ、信仰によって、いのちのパンである主イエスを食し、キリストのいのちによって生きるということでした。私たちの魂の飢え渇きを潤し満たしてくださる主イエスを日々信頼して、主イエスによって生かされて、主イエスとともに歩んでいきましょう。