「キリストによって生きる」10月29日

聖日礼拝メッセージの要約(2023. 10. 29.)

「キリストによって生きる」

ヨハネによる福音書 6章52〜59節

 

わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。(ヨハネ6:55〜56)

 

1、キリストのいのち

主イエスは、ユダヤ人たちに、「人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」と言われました。主イエスの肉と血というのは、主イエスのいのちを意味しています。聖書には、「血は命であるゆえに、あがなうことができるからである」とあります(レビ17:11)。十字架の上で血を流し、肉を裂いてくださった主イエスは、天からのパンとして、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。主イエスを信じる私たちは永遠のいのちに生かされ、復活の希望をもって再臨の主を待ち望みつつ、今日という日を生きるのです。

 

2、キリストによる養い

主イエスは、「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である」と言われています。神様は、かつてイスラエルの⺠が荒野で旅した時に、岩から水を出され、天からマナを降らし、彼らを養われました。それは、のちに、主イエスがもたらしてくださるまことの食物とまことの飲み物のひな型であったのです。それは、すなわち、キリストの十字架であり、主イエスの肉と血を自分のためと信じて、自分のものとして生きることが、私たちの信仰の歩みであるのです。私たちは、神のことばである主イエスを信じて、彼に養われつつ、キリストの心を心とし、キリストが歩まれたように歩むというきよめの道に招かれているのです。

 

3、キリストにある生活

主イエスは、これらのことを、カペナウムの会堂で教えておられた時に言われました。会堂とは、聖書のみことばに基づいて、礼拝と生活の基本を教える場所でした。主イエスは、ここで、ご自身こそが天からのパンであることを宣言され、信仰をもって、ご自身を食べて生きることを説かれました。主イエスを信仰によって日々いただくこと、それは、私たちの霊的ないのちの健康と成⻑にかかわることであるのです。私たちは、主イエスこそが私たちの礼拝と生活の土台であり、キリストの十字架と復活によって生かされている恵みを覚えつつ、キリストのからだとしてともに歩んでいきましょう。