「天からのはしご」5月7日

 

礼拝メッセージの要約(2023. 5. 7.)

「天からのはしご」

ヨハネによる福音書 1章43〜51節

 

また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。(ヨハネ1:51)

 

1、キリストを知る恵み

ピリポは、ナタナエルに主イエスはメシヤだと伝えました。しかし、ナタナエルは主イエスがナザレ人であると聞いただけで、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」と言い放ち、主イエスを知ろうとはしませんでした。ピリポはそんな彼に「きて見なさい」と言いました。主イエスに対する偏見や疑念から解放される道は、来て見ることだからです。来て見ること、これこそが、ピリポ自身が主イエスは救い主だと確信した道であったのです。日々、主イエスのもとに行き、主イエスを知るという恵みは、いつも私たちの前に開かれているのです。

 

2、キリストに知られている恵み

主イエスは、ナタナエルがご自分の方に来るのをご覧になって、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」と言われました。「ほんとうのイスラエル人」とは、純粋に神様を慕い求め、神様を信頼して生きる人のことを意味します。主イエスは、彼の心をご覧になっていたのです。自分が知る前から主イエスは自分を知っておられる、それは神様の一方的な恵みをあらわしています。ナタナエルは一時は偏見と疑念にかられましたが、「きて見る」という信仰的な冒険をし、神様の恵みに応答したのです。

 

3、キリストがともにいる恵み

主イエスは、「天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」と言われました。主イエスは、ご自身が天と地を結ぶ架け橋、すなわち、神と人とを結ぶ架け橋であると宣言されたのです。主イエスが十字架の上で私たちのために死なれ、復活されたことによって、私たちの罪が赦され、新しい命が与えられ、私たちは天につながる者とされたのです。神様は、天からのはしごの夢を見たヤコブに、「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、...わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」と約束されました(創世記28:15)。主が共におられる恵みに感謝

しつつ、新しい週の旅路を歩んでいきましょう。