「最初の弟子たち」4月30日

礼拝メッセージの要約(2023. 4. 30.)

「最初の弟子たち」

ヨハネによる福音書 1章35〜42節

 

彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。(ヨハネ1:41)

 

1、キリストの言葉

主イエスは、ご自身についてくる二人の者たちに対して、「何か願いがあるのか」とお尋ねになりました。主イエスは、「何を求めているのか」と、ご自身についてくる動機と目的を問われたのです。当時の群衆の多くは、ただ自分たちの欲望を満たすために、主イエスを求めていました(ヨハネ6:26)。彼らは、主イエスについて行き、主イエスを求めているようで、実は、動機も目的も自分が中心であったのです。主イエスは、「何を求めているのか」と問われています。キリストの弟子として、主イエスに従っていく動機が問われていることを覚えましょう。

 

2、キリストとの交わり

二人の者たちは、主イエスに、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」と尋ね、主イエスをもっと知りたいと交わりを求めました。「泊まる」という言葉には、「とどまる」という意味があります。それは、主イエスとの交わりに生きるということを示しています。主イエスは、私たちがご自身にとどまり、ご自身のみことばにとどまり、ご自身の愛の中にとどまることを求めておられます。これこそが、キリストの弟子としての生き方です。主イエスと人格的な交わりを通して、彼らは、主イエスはどのようなお方であるかを知るにいたったのです。

 

3、キリストの弟子

この二人のうちの一人は、ペテロの兄弟アンデレでした。彼は、兄のペテロを見つけて「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言いました。ヨハネの証を聞き、主イエスを見て、主イエスに従い、主イエスとの交わりを持ったアンデレは、主イエスを証しし、ペテロを主イエスのもとに導く者になったのです。彼らはこの後、多くの失敗と挫折を経験します。しかし、主イエスは、彼らをキリストの弟子として成⻑へと導いてくださり、福音宣教の使命のために用いてくださったのです。私たちを罪と死から救い、まことのいのちに生かしてくださった主を愛し、主への愛を動機として、主のご栄光のために歩んでいきましょう。