礼拝メッセージの要約(2022. 7. 3.)
「聖餐の恵み」
1コリント 11章23〜29節
「食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。(1コリント 11:25)
1、聖餐の恵み
コリント教会では、裕福な人が貧しい人を見下し、食事を分け合うことをしませんでした。そのために、食事の後に続く聖餐式を行うことができませんでした。また、当時の教会は、誤った教えによって混乱し、キリストの十字架の愛を見失い、堕落していました。パウロは、コリントの信徒たちに対して、今一度、神の愛を思い起こし、聖餐の恵みに立ち返るようにうながしているのです。
2、新しい契約
主イエスは、「この杯は、わたしの血による新しい契約である」と言われました(11:25)。古い契約のためには、動物の血が流されました。しかし、新しい契約は、神の御子イエスの血が流されることによって立てられたのです。新しい契約では、主イエスを信じる者たちに、聖霊が臨むことを通して、その内側にみことばが記され、神様との交わりに招かれ、神様の御心に生きる恵みが与えられるのです。私たちは、聖餐式において、パンと杯にともにあずかることによって、私たちはみな神の⺠であり、キリストにあって一つであるという恵みを覚えるのです。
3、主が来られる日まで
聖餐式は、「見えるみことば」と呼ばれ、主の十字架の死、主の復活、主の昇天、主の臨在、主の再臨、来るべき栄光の御国を映し出しています。「主がこられる時に至るまで」(11:26)とあるように、私たちは、十字架の主、復活の主を記念するだけではなく、主のご臨在の中で、再臨の主を待ち望みつつ、聖餐にあずかるのです。聖餐式は、キリストの救いの恵みを心のうちにしっかりと覚え、今日というこの日を主のために生きるという思いを新たにされる時でもあります。聖餐の恵みに感謝しつつ、キリスト・イエスを基(もとい)として、栄光の望みを抱いて、ともに歩んでいきましょう。