「罪人を招く神」7月10日

 礼拝メッセージの要約(2022. 7. 10.)

「罪⼈を招く神」

マタイによる福⾳書 9章9〜13節

 

『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味 か、学んできなさい。わたしがきたのは、義⼈を招くためではなく、罪⼈を招くた めである」。(マタイ 9:13)

 

1、神の賜物

主イエスは、取税⼈マタイをご覧になって、「わたしに従ってきなさい」と⾔われました。当時、取税⼈というのは、罪⼈の象徴とされていました。主イエスは、そのようなマタイに眼差しを向けられ、呼びかけられたのです。マタイは⽴ちあがって、主イエスに従いました。これは、それまでの古い⽣き⽅との決別を⽰し、「神の賜物」(マタイの名前の意味)としての新しい⽣き⽅の始まりを意味しているのです。

 

2、罪⼈とともに

マタイは、主イエスのために、⾃分の家で⾷事会を開きました(ルカ5:29)。そこには、マタイと同じように、周りから蔑まれ、社会から疎外されている 取税⼈や罪⼈が⼤勢やってきました。主イエスによって、誰もが罪が赦されて、神の家族として交わりに迎え⼊れられるのです。これが教会の姿であるのです。マタイは、主イエスに従いました。そして、主イエスから受けた恵みを他の⼈々にも分かち合って⽣きたということを覚えましょう。

 

3、罪⼈を招くためにパリサイ⼈たちは、主イエスが取税⼈たちと⾷事をともにしていることを批判しました。主イエスは、彼らに、「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい」と⾔われました。⾃分たちの誇りや主張を捨てて、聖書のみことばの本来の意味を学び直し、神様のあわれみを知るように迫られたのです。神様は、御⼦イエスの⼗字架を通して、ご⾃⾝が如何にあわれみに富み、情け深く、愛に満ちたお⽅であるかを⽰してくださいました。⼗字架の主を⾒上げることによって、私たちは、罪の中から⽴ち上がり、新しいいのちに⽣きる恵みが与えられています。「わたしに従ってきなさい」と呼びかけてくださる主の招きに応えて、主の御跡に従って歩んでいきましょう。