「患難さえも喜ぶ」7月17日

礼拝メッセージの要約(2022. 7. 17.)

「患難さえも喜ぶ」

ローマ⼈への⼿紙 5章1〜5節

 

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を⽣み出し、忍耐は錬達を⽣み出し、錬達は希望を⽣み出すことを、知っているからである。(ロー マ5:3〜4)

 

1、神との平和

使徒パウロは、信仰によって義とされることがどれほど素晴らしい恵みであるかということを記しています。その恵みとは、主イエス・キリストによって、神と和 解し、神との平和を得ていること、神との愛の交わりに⽣きる者とされたこと、そして、神の栄光にあずかるという希望が与えられているということです。神の栄光にあずかる希望とは、主イエスが再び来られる⽇に、神の栄光に完全にあずかる希望です。神様の平和と愛と希望は、過去、現在、将来と⼀直線につながっていて、 私たちはその恵みの中を歩ませていただいているのです。

 

2、患難さえも喜ぶ

パウロは、「患難をも喜んでいる」と告⽩しています。この「喜ぶ」とは、「誇る」ということも意味しています。⼈⽣のすべてが神の恵みによって⽀えられ、神の栄光の希望につながっているという信仰に⽴つならば、患難をも、主イエスにあって喜び、誇るという⽣き⽅へと変えられていくのです。患難が忍耐を⽣み出し、忍耐が練達を⽣み出すことによって、主の再臨への希望が、私たちのうちでより確かにより豊かに⼤きくなっていくのです。キリスト者とは、患難の中においても、 信仰によって、神の恵みに⽴ち、神の愛に⽣かされながら、神の栄光を望み⾒て歩んでいる者たちであるのです。

 

3、注がれる神の愛

神様の栄光の希望は、私たちに恥をかかせ、失望させるものではありません。パ ウロは、「なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの⼼に注がれているからである」と記しています。キリストの⼗字架によって、 神の愛は明らかにされていますが、神の愛は、いまもなお、聖霊によって、私たちの⼼に注がれているのです。そして、この神の愛によって、私たちに与えられている希望は、確実なものとされているのです。神様の豊かな恵みを覚えて、主を⾒上げつつ、栄光の希望を抱いて、信仰の旅路を歩んでいきましょう。