「キリスト・イエスを基として」1月1日

元旦礼拝メッセージの要約(2022. 1. 1)

「キリスト・イエスを基として」

ヨハネによる福⾳書 15章1〜5節

 

「わたしはぶどうの⽊、あなたがたはその枝である。もし⼈がわたしにつながっており、またわたしがその⼈とつながっておれば、その⼈は実を豊かに結ぶようにな る。わたしから離れては、あなたがたは何⼀つできないからである。」(ヨハネ 15:5)

 

1、主なる⽊につながる

主イエスは、「わたしはぶどうの⽊、あなたがたはその枝である」と⾔われています。そして、「つながる」という⾔葉を繰り返されています。枝は⽊につながらなければ、実を結ぶことができません。それと同じように、私たちは、主イエスという⽊につながらなければ、どんな⼩さな⼀粒でさえ、主イエスからくる実を結ぶことはできないのです。主イエスにつながるとは、主イエスを信じ、主イエスを受け⼊れ、主イエスの⼗字架と復活の恵みに⽣きることであるのです。

 

2、⽗なる神の剪定を受ける

主イエスは、「わたしの⽗は農夫である」と⾔われています。農夫は、実を豊かに結ばせるために、剪定を⾏います。まことのぶどうの⽊である主イエスとのつながりが深まっていく中で、⾃分⾃⾝の中に、キリストの実を結ぶのを妨げているもの、ふさわしくないものが⽰されていきます。枝である私たちは、⾃分の⼒でそれらを取り除くことはできません。⽗なる神の剪定を受けてこそ、私たちの古い⾃分は砕かれ、きよめられ、キリストの実を結び、キリストのいのちを⽣きる者へと変えられていくのです。

 

3、豊かに実を結ぶ教会として

教会とは、「神様に召し集められた者たち」という意味であり、「キリストのからだ」と呼ばれています。キリスト者たちは、キリストのからだのそれぞれの器官であり、また、まことのぶどうの⽊であるキリストの枝々です。私たちは、キリストの⾔葉につながり、キリストの愛の中を歩み、キリストの働きをあらわしていく使命に召されているのです。新しい年も、私たちは、主の枝々として召されている恵みを覚えて、キリストという⽊にしっかりとつながり、キリストを⼟台として、 キリストを⾒上げて、豊かに実を結ばせてくださることを祈りつつ、ともに歩んでいきましょう。