「さあ、ここから」12月26日

本年最終感謝礼拝メッセージの要約(2021. 12. 26)

「さあ、ここから」

ヨハネによる福⾳書 14章29〜31節

 

「しかし、わたしが⽗を愛していることを世が知るように、わたしは⽗がお命じになったとおりのことを⾏うのである。⽴て。さあ、ここから出かけて⾏こう。」( ヨハネ 14:31)

 

1、「そのことが」

主イエスは、最後の晩餐の席において、弟⼦たちに対して、「今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った」と⾔われました。「そのこと」とは、主イエスの⼗字架での死を意味しています。つまり、主イエスは、神の救いの御業が成し遂げられることをご存知であり、すべては神のご計画であることを⽰しています。主イエスは、弟⼦たちがご⾃⾝を信じる信仰に堅く⽴つことができるように、 このように語られたのです。私たちにとっても、神の救いの計画の中を歩んでいるということを知り、それを信じることが⼤切であるのです。

 

2、「⽗を愛していることを」

主イエスは、ご⾃⾝の⼗字架での死は、⽗なる神を愛していることを、この世が知るためであると⾔われています(14:31)。主イエスは、⼗字架を通して、 ⽗なる神への愛と従順を⽰されたのです。その⽗なる神への愛と従順によって、主イエスご⾃⾝が約束してくださった平安が、私たちに与えられたのです。主イエスの⼗字架とは、私たちの罪の赦しだけではなく、主イエスの⽗なる神への愛と従順でもあります。それは、私たち⾃⾝も、神様を⼼から愛し、神様に従っていく時に、主の⼗字架の意味をさらに豊かに知る恵みにあずかり、主イエスが与えると約束された平安を体験していく恵みにあずかるということです。

 

3、「さあ、ここから」

主イエスは、「⽴て。さあ、ここから出かけて⾏こう」と、弟⼦たちに⾔われました。これは、主イエスとともに、⼗字架への道を踏み出していくという、招きのことばです。私たちは、主イエスとともに古い⾃分に死んでこそ、復活のいのちに⽣きる恵みにあずかります。信仰者の歩みとは、戦いもあり、試練もあり、また、 誘惑もあります。しかし、主イエスは、聖霊を通して、ご⾃⾝を信じる者たちのうちに住んでくださり、⽣きてくださり、働いてくださっています。主イエスを信じる信仰によって、神の救いの計画の中に⽣かされているという恵みを覚えて、主とともに歩んでいきましょう。