「神の時に」10月3日

礼拝メッセージの要約(2021. 10. 3)

「神の時に」

伝道の書 3章1〜15節

 

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた⼈の⼼に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、⼈は神のなされるわざを初めから終りまで⾒きわめることはできない。」(伝道の書3:11)

 

1、神の時に

「天が下」というのは、神様の視点から⾒た世界であり、神様のご⽀配を意味しています。イスラエルの王であったソロモンは、神様のご⽀配の下には、何事も定まった時期があり、すべての営みには時があることを、つまり、神様の摂理をさとりました。彼は、「神のなされることは皆その時にかなって美しい」と告⽩しています。ソロモンは、かつては⼈間的な知恵や快楽の追求によって、⼈⽣に意味を⾒出そうとしました。しかし、彼は、すべてを神様のご⽀配に委ねた時に、⼈⽣を意味あるものとし、すべてを美しくしてくださる神様の恵みを⾒たのです。

 

2、永遠を思う思い

神様は、ご⾃⾝の形にかたどって、私たち⼈間をつくられました。私たちは、その特権として、神様より、永遠を思う思いが与えられています。私たちの周りの環 境は、すべて移り変わり、いつまでも変わらないものはありません。しかし、私たちの⼼には、永遠を思う思いがあり、永遠に価値あるものにあこがれ、永遠の神を思い、永遠に⽣きることを願うのです。神様は、永遠を思う思いだけではなく、主イエス・キリストを通して、永遠のいのちを与えてくださいました。私たちは、永遠への思いと、永遠のいのちによって、神様の時を⽣き、すべて時にかなって美しい神様の御業に思いを馳せて、それを待ち望みながら、歩むことができるのです。

 

3、神の前に恐れを

ソロモンは、伝道の書の最後で、「神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての⼈の本分である」と記しています(12:13)。⽇の下(⼈間の視点)では、⽬に⾒える⾏いによって善悪が判断されますが、天が下(神の視点)では、隠れたことについてもさばかれるということです。⽬に⾒えるこの世に基準をおいて、⼈⽣を⾒るのではなく、隠れたことを⾒られる神様を恐れ、敬虔に歩むことを、ソロモンは語っています。主イエスの救いの恵みによって、神様の時を⽣き、神様とともに⽣きる幸いを覚えて、信仰の旅路を歩んでいきましょう。