「主はわたしの牧者」9月26日

礼拝メッセージの要約(2021. 9. 26)

「主はわたしの牧者」

詩篇23篇1〜6節

 

「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」(詩篇23:1〜3)

 

1、主はわたしの牧者

イスラエルの王であったダビデは、この詩篇で、神様と⾃分との関係を、⽺飼いと⽺という関係であらわしています。⽺は、遠くを⾒通すことができず、単独では⽣きることができません。⼩さなことがきっかけで、迷いやすく、道を踏み外してしまう動物です。そのような点で、⼈間は⽺とよく似ていると⾔えます。主イエス は、「わたしは良い牧者である」と⾔われています。主イエスは、神様から離れ、 罪の中をさまよっていた私たちを救い出してくださり、今も迷いやすい私たちを守り、養い、正しい道へと導いてくださっているのです。

 

2、死の陰の⾕を歩むとも

ダビデは、「たといわたしは死の陰の⾕を歩むとも、わざわいを恐れません」と告⽩しています。ダビデは、⻑い逃亡⽣活の中で、常に死を前にして⽣きていました。死を前にして、⾃分は何に対して⾝を委ねればよいのか。それは、すべての⼈が直⾯する最⼤の問題です。私たちの傍らには、私たちの罪をあがない、死に打ち勝たれた救い主がいつも⽴ってくださっているのです。⽺はか弱い動物です。しかし、⽿が良いという⼤きな強みがあります。主に信頼と望みを置いて、主の御声に聞き従うことこそが、主の⽺である私たちの信仰の歩みであるのです。

 

3、主の宮に住む幸い

この詩篇の後半において、牧者としての主は、⼀家の主⼈としてもてなすお⽅へと変わります。「わたしのこうべに油をそそがれる」とは、今⽇の私たちには、主イエスを信じるすべての⼈に注がれる聖霊を意味しています。神様は、聖霊を私たちに注ぎ、ご⾃⾝のものとして下さるのです。主は牧者として、私たちの先頭に⽴ち、また、もてなしの主として、私たちを迎え、そして、私たちには必ず恵みといつくしみとが伴うのです。「わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう」とは、主とともに永遠に⽣きることへの願いを⽰しています。主の真実と愛に満ちた導きと主の臨在を信頼して、主とともに歩んでいきましょう。