「三本の十字架」3月24日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 3. 24.)

「三本の十字架」

ルカによる福音書 23章32〜43節

 

イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。(ルカ23:43)

 

1、十字架の祈り

主イエスは、十字架の上で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と祈られました。キリストの十字架とは、神の義と愛が出会うところです。罪を赦すためには、罪はさばかれなければなりません。主イエスは、私たちの代わりに、罪人として神様にさばかれ、死んでくださったのです。神様の前において罪のない神の御子だけが、このように祈ることができるのです。主イエスは、今、生きるわたしたちも含めて、すべての人のために、十字架の上で父なる神に罪の赦しを祈って下さったのです。

 

2、十字架を仰ぐ

主イエスの両側には二人の犯罪人が十字架につけられていました。犯罪人のひとりは、「...自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と主イエスを罵りました。しかし、犯罪人のもうひとりは、彼をたしなめて、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか」と言いました。この犯罪人も、はじめは、主イエスを罵っていましたが、主イエスの祈りを聞いて、彼の霊的な目は開かれ、自分の罪を悔い改め、神を恐れる者へと変えられたのです。彼は、十字架の主を仰ぎ見て、キリストの苦しみと祈りは、この自分のためという信仰に至ったのです。

 

3、十字架の恵み

その犯罪人は、「あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」と願いました。彼は自分の罪を思うと、とても「わたしを救ってください」とは言えなかったのでしょう。しかし、主イエスは、そのような彼に対して、「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と約束されました。二人の犯罪人は、主イエスとともに十字架につけられ、同じように死に向かっていました。犯罪人のひとりは主イエスを罵り、神様の恵みを知ることはありませんでした。しかし、犯罪人のもうひとりは、十字架という苦しみと絶望の場所で、驚くべき恵みと栄光の望みを約束されました。主イエスは、「あなたはきょう...」と言われています。私たちもまた、「きょう」という時を、主イエスとともに生きる恵みが与えられています。神様の豊かな恵みに感謝しつつ、栄光の望みを抱いて、「きょう」という日を歩んでいきましょう。