「生けるキリスト」3月10日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 3. 10.)

「生けるキリスト」

ヨハネによる福音書 8章48〜59節

 

あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。(ヨハネ8:56)

 

1、いのちのみことば

主イエスは、「もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」と言われています。「わたしの言葉を守る」とは、主イエスの言葉を決して失わないように大切に保つという意味です。主イエスの言葉は、私たちを罪と死から救い、永遠のいのちに生かす、いのちの言葉です。その言葉を守るとは、いのちの主であるイエス・キリストに結ばれ、その方と永遠に生きることです。主イエスは、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」と述べられています(マタイ22:32)。私たちは、キリストにあって、永遠の命に生きる者たちであるのです。

 

2、栄光を与えるお方

主イエスは、「わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。...わたしはこの方を知っており、そのみことばを守っています」と言われています(8:54〜55新改訳)。主イエスは、自らの栄光は求めず、父なる神のご栄光を一心に求めて、父なる神の言葉を一つも失うことなく忠実に守り、私たちのために救いの御業を成し遂げてくださいました。主イエス・キリストは、私たちのうちに生きておられます。私たちは、この方にただ寄り頼み、神のご栄光のために、主の言葉を守って歩んでいくのです。

 

3、キリストの日の喜び

主イエスは、「あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」と言われています。信仰によって、アブラハムは、神の祝福の約束が、主イエスによって実現する日を見て、すでに大いに喜んでいたのです。聖書には、「もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである」とあります(ガラテヤ3:29)。しかし、ユダヤ人たちは、主イエスをキリストとして信じませんでした。彼らは、自分たちの父祖アブラハムが見て喜んだキリストの日をともに喜ぶことができなかったのです。私たちは、神の約束の実現をともに喜び、主イエス・キリストを自分の救い主として心の王座に迎え入れ、主の言葉を守って歩んでいきましょう。