聖日礼拝メッセージの要約(2024. 2. 25.)
「真理による自由」
ヨハネによる福音書 8章31〜38節
また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。(ヨハネ8:32)
1、主の弟子
主イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに対して、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである」と言われました。主イエスの言葉のうちにとどまるとは、いつも主イエスの言葉に耳を傾けることができるように、主イエスにとどまることです。主イエスにとどまることは、自分自身を主イエスに明け渡すことです。それらのユダヤ人たちは、頭脳的な知識として主イエスを信じただけであって、自分自身を主イエスに明け渡すという体験的な信仰には至っていなかったのです。
2、罪の奴隷
主イエスは、彼らに、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である」と言われました。ユダヤ人たちは、自分たちは神の⺠であり、アブラハムの子孫であることを誇っていました。それが、彼らの心の中の偶像であり、主イエスに自分自身を明け渡すことのできない大きな原因であったのです。三浦綾子さんは、著書の中で、「自分が不自由な人間だと率直に認めた時、わたしたちは、真の自由への道を歩みはじめているといってよいのかもしれない」と記しています。真の自由とは、主イエスを信じて、罪の奴隷の身から解放されることによって得られるのです。
3、自由の子
わたしたちが悔い改めと信仰をもって、主イエスを自分の救い主としてお迎えする時に、主イエスは私たちのうちに住んでくださいます。わたしたちは、内なるキリストの御声に励まされ、キリストのきよめの恵みに生かされながら、自己中心から神中心への生き方へと変えていただくのです。わたしたちが罪と死の支配から解放され、神の子どもとして真の自由に生きるために、神の御子は人となってこの世に来られ、十字架と復活によって救いの御業を成し遂げてくださいました。この神の恵みを喜び、主のみことばにとどまり、キリストの弟子として、神のご栄光のためにともに歩んでいきましょう。