「信じる恵み」2月11日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 2. 11.)

「信じる恵み」

ヨハネによる福音書 8章21〜30節

 

そこでイエスは言われた、「あなたがたが人の子を上げてしまった後はじめて、わたしがそういう者であること、また、わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。(ヨハネ8:28)

 

1、罪のうちに死ぬ

主イエスは、パリサイ派を中心としたユダヤ人たちに対して、「わたしは去って行く」と言われました。これは、主イエスご自身が十字架の上で死なれ、死から復活され、父なる神のもとに昇られることを指しています。これは、神様の救いを意味しています。しかし、ユダヤ人たちの心は、主イエスに対する殺意で満ちていました。主イエスは、彼らに、「自分の罪のうちに死ぬ」と言われました。それは、神様との関係が絶たれるということです。主イエスは、私たちが罪の中に死ぬのではなく、神様のいのちに生きることを望んでおられるのです。

 

2、キリストと向き合う

ユダヤ人たちは、主イエスのことばを聞いて、「あなたは、いったい、どういうかたですか」と尋ねました。聖書は、「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである」と記しています(ヘブル1:1〜2)。神様は、御子である主イエスを通して語りかけられ、主イエスは私たちのために救いを成し遂げてくださいました。神様からの語りかけに対して、主イエス・キリストと向き合い、私たちはどう答えるのかを問われているのです。

 

3、神のいのちに生きる

主イエスは、十字架での受難を目前に控えて、「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」と祈られました(マルコ14:36)。「この杯」とは、罪に対する神の怒りであり、十字架での死です。それは、父なる神との関係が絶たれることを意味します。御子イエスが、その苦しみをすべて十字架で背負ってくださったからこそ、私たちは、神様を「父よ」と呼び、神様の子どもとして生きる恵みにあずかっているのです。神様の愛と恵みに、信仰をもって応答し、主イエスとともに歩んでいきましょう。

ーお詫びー

2024年2月18日(日)の礼拝メッセージは、諸事情により配信することができません。ご迷惑をおかけいたしまして誠に申し訳ありません。