「神の言葉に立つ」1月21日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 1. 21.)

「神の言葉に立つ」

ヨハネによる福音書 7章45〜52節

 

「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」。(ヨハネ7:51)

 

1、キリストの権威

祭司⻑とパリサイ人たちは、下役たちに対して、「なぜ、あの人を連れて来なかったのか」と尋ねました。彼らは、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません」と答えました。下役たちは、主イエス・キリストの権威に圧倒されたのです。彼らは、主イエスを通して、人間の権威ではなく、神の権威を見たのです。その一方で、祭司⻑とパリサイ人たちは、自分たちの権威を振りかざして、主イエスの権威を否定しました。自分たちこそが権威であり、自分たちこそが正しいという自己中心性を捨て去ることができなかったのです。

 

2、律法主義の驕り

パリサイ人は、下役たちの証言を聞いて、「役人たちやパリサイ人たちの中で、ひとりでも彼を信じた者があっただろうか。律法をわきまえないこの群衆は、のろわれている」と不満と怒りをぶつけました。パリサイ人たちは、自分たちに都合よく律法を解釈し、人々は律法を何も分かっていないと見下していたのです。そのような彼らに対して、ニコデモは、「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」と忠言しました。パリサイ人たちは、主イエスに対する敵意と自分たちは律法を知っているという傲慢さによって、霊的な目が閉ざされていたのです。

 

3、神の言葉に立つ

ニコデモは、パリサイ人たちに対して、聖書のみことばに立ち返り、聖書のみことばに聞き従うことを求めました。聖書は、主イエス・キリストを証しし、福音の真理を示しています。私たちは、主イエスを自らの救い主と信じて、主の十字架による罪の赦しの恵みにあずかることによって、神様の御前に正しい者とされるのです。それは、自分の正しさを突き通すのではなく、キリストの十字架の恵みによって、神様の正しさを受け入れるという生き方です。信仰をもって、主イエスを仰ぎ見つつ、聖書のみことばに聞き従い、神様の恵みに寄り頼み、神様が備えてくださった祝福の道をともに歩んでいきましょう。