「きたるべきかた」12月3日

聖日礼拝メッセージの要約(2023. 12. 3.)

「きたるべきかた」

マタイによる福音書 11章2〜6節

 

さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。(マタイ11:2〜3)

 

1、落胆の預言者

バプテスマのヨハネは、旧約時代の最後で最大の預言者であり、キリストの到来を告げた偉大な人物でした。しかし、主イエスが、いっこうに救い主(キリスト)であることを宣言されず、この世の悪をさばかれないことに、獄中にいた彼は落胆し、つまずきかけていました。ヨハネは、自分の弟子たちを主イエスのもとに送り、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねました。彼は、主イエスに対して、自分の胸にある疑いを隠すことなく、率直に打ち明けたのです。疑うことよりむしろ、問題なのは、疑いを胸の中に閉じ込め、主イエスに聞かないことであるのです。

 

2、きたるべきかた

主イエスは、ご自身がキリストであることを告げるのではなく、ただ目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、死人が生き返り、貧しい人には福音が宣べ伝えられている事実だけをお伝えになりました。口を開いてキリストだと宣言されるのではなく、ご自身が行われることを通して、キリストが到来したことを明らかにされたのです(イザヤ35:5〜6)。それは、この世の悪がさばかれ、人々は圧政から解放されるのではなく、社会の片隅でしいたげられている人々がキリストに出会い、キリストの福音が宣べ伝えられることによって、神の御国が着実にこの地上に広がっている姿であったのです。

 

3、わたしたちの幸い

主イエスは、ヨハネに、「わたしにつまずかない者は、さいわいである」と伝えました。つまずきかけたヨハネですが、主イエスの言葉を聞いて、彼の心には平安が与えられ、この方こそキリストであるという信仰を取り戻すことができました。主イエスは、獄中につながれていたヨハネを助け出すことはされませんでした。しかし、ヨハネの孤独と苦悩と疑いに対して、主イエスは彼に必要な答えをお与えになり、彼はこの方こそキリストと信じる幸いを得て生きることが出来たのです。主イエス・キリストのご降誕をお祝いする季節を迎え、私たちはあらためて主を信じる幸いを覚えて、クリスマスの恵みをともに喜びつつ、主のご栄光のために歩んでいきましょう。