永眠者記念礼拝メッセージの要約(2023. 11. 5.)
「いま、ここに生きる」
ヨハネによる福音書 6章60〜65節
人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
(ヨハネ6:63)
1、キリストの弟子
弟子たちの多くは、主イエスの言われた、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲め」という言葉を聞いて、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」と言い放ちました。彼らは、主イエスの言葉の意味を物質的に受け止め、霊的には理解しなかったのです。つまり、主イエスの言葉を人間の言葉として捉え、神の言葉であると信じていなかったのです。「わたしの肉、わたしの血」とはキリストの十字架を意味しています。本当のキリストの弟子とは、キリストの十字架は自分の罪のためと信じる者たちであるのです。
2、キリストの言葉
主イエスは、「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」と言われています。肉というのは、古い自分であり、人間の本性である自己中心性を表しています。新しく生まれるためには、古い自分はキリストとともに死ななければなりません。それは、すなわち、古い自分がキリストとともに十字架につけられることです。主イエスを信じず、肉の性質に頼るならば、聖霊によって新しく生まれ、永遠のいのちに生きることはできません。主イエスの言葉は単なる文字や知識ではなく、聖霊の働きがあり、まことのいのちを与える力があるのです。
3、キリストのもとに
主イエスは、「父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできない」と言われました。主イエスは、ここでもう一度、私たちが信仰を持つことができるのは、人間的な力ではなく、父なる神の恵みによることを明らかにされました。ここに、神の救いの確かさが示されています。父なる神はその独り子を与えてくださるほどに私たちを愛し、私たちを主イエスと出会えるように招いてくださっているのです。いのちのパンであるキリストを食べるとは、キリストの十字架の死と一つにされて生きていくことを意味しています。それはすなわち、永遠のいのちに生きるということであり、キリストの忠実な弟子として歩むということです。栄光輝く御国を目指して、主と主の言葉に従いつつ、ともに歩んでいきましょう。