「我なり、懼るな」10月1日

敬老感謝礼拝メッセージの要約(2023. 10. 1.)

「我なり、懼るな」

ヨハネによる福音書 6章16〜21節

 

すると、イエスは彼らに言われた、「わたしだ、恐れることはない」。(ヨハネ6:20)

 

1、訓練される主

主イエスの弟子たちは、彼らだけで舟に乗り、湖の向こう岸へと向かいました。これは、主イエスが、弟子たちに与えられた信仰の訓練と言えます。それは、目に見えるものではなく、主イエスを信じる信仰によって生きるということを学ぶためのものでした。日は沈み、空はすでに暗くなり、湖は強風によって荒れ始めていました。弟子たちの心も、天候と同じように暗く沈み、強風に煽られる波のように動揺していたと思われます。しかし、この逆境の時こそが、彼らにとって、信仰が試され、自分の信仰を見つめ直す機会となったのです。

 

2、死に勝利された主

主イエスは湖の上を歩いて舟に近づかれました。嵐や荒波の中にあっても、主イエスは私たちとともにいてくださるお方です。弟子たちの不安や動揺の原因を突き詰めるならば、自分たちは、荒波に飲まれて、湖の底に沈み、死んでしまうということでした。しかし、彼らが本当に恐れなければいけないことは、肉体の死ではなく、神様との関係が絶たれるという霊的な死であったのです。主イエスこそ、ご自身の十字架と復活の御業によって、私たちに罪の赦しを得させ、神様との交わりを回復し、永遠のいのちに生きるようにしてくださるお方であるのです。

 

3、『わたしはある』という主

主イエスは、弟子たちに、「わたしだ。恐れることはない」と言われました。「わたしだ」とは、「わたしこそがある」という意味です。旧約聖書(出エジプト3:14新改訳)において、神様は、「わたしは、『わたしはある』という者である」と紹介されていますが、これは、主イエスが言われる「わたしだ」と同じ意味です。すなわち、主イエスは、過去、現在、未来を超えて、永遠に存在されるお方であり、「わたしは神である」と宣言されているのです。主イエスは神であり、そのお方がとともにいてくださるからこそ、恐れなくてもよいのです。弟子たちが、主イエスを迎え入れると、舟はすぐに目的地に着きました。新しい週も、「わたしだ。恐れることはない」と言われるお方が、私たちとともにおられ、私たちを守り、導き、祝福してくださっていることを覚えて、主イエス・キリストを信頼して歩んでいきましょう。