「神からの栄誉」9月17日

聖日礼拝メッセージの要約(2023. 9. 17.)

「神からの栄誉」

ヨハネによる福音書 5章41〜47節

 

互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。

(ヨハネ5:44)

 

1、人からの栄誉

主イエスは、ユダヤ人たちに対して、「互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがた」と言われています。当時、信仰に熱心であるとされていた人々が、「人に見られたい」という動機で、善行を行なっているという問題がありました。彼らの心は、神様に向かっているのではなく、人々の目に映る自分の姿に向かっていたのです。主イエスは、「あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている」と言われています。彼らが、人からの栄誉を求めることに終始する最大の原因は、神様に対する愛の欠如であったのです。

 

2、神からの栄誉

主イエスは、父なる神の御名によって来られましたが、ユダヤ人たちは、主イエスを受け入れることはしませんでした。神様に対する愛がないので、神様以外の者を愛し、神様以外の者を受け入れ、喜ぶという根本的な問題があったのです。ローマ人への手紙には、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」とあります(3:23〜24新改訳)。神様からの栄誉は、主イエスを救い主と信じ、キリストの十字架の死によって罪が贖われてこそ、受けることができるのです。

 

3、キリストの恵み

ユダヤ人たちにとって、大切なのは、安息日を守っている自分自身であり、彼らのうちには、神への愛と他者への愛がなかったのです。主イエスは、人からの栄誉を求めることはされず、神様からの栄誉を一心に求めて歩まれました。主イエスの地上でのご生涯を思う時に、私たちは、神からの栄誉を求めるよりも、人からの栄誉を、互いの栄誉を求め、また、神への愛と他者への愛よりも、自己中心性にとらわれている者たちであることを知らされます。しかし、主イエスは、そのような者たちであるからこそ、十字架の贖いによって、私たちが神からの栄誉を受け、神様と隣人を愛する者となるように招いてくださったのです。私たちのために成し遂げられた神の救いの御業に感謝しつつ、主イエス・キリストを通して与えられた真の安息の中に生きていきましょう。