「生き生きとした希望」9月3日

創立・献堂記念礼拝メッセージの要約(2023. 9. 3.)

「生き生きとした希望」

1ペテロの手紙 1章18〜21節

 

あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。(1ペテロ1:21)

 

 

1、キリストの尊い血によって

「先祖伝来の空疎な生活」とは、すなわち、神様の御心に沿わない、的外れな生き方を示しています。父なる神は、御子イエス・キリストの尊い血をもって、自分中心の的外れな生き方に囚われていた私たちを贖い出してくださいました。「贖い出す」とは、「身代金を払って買い取られ、奴隷の身から自由の身にされる」という意味です。主イエスは、十字架の死によって、罪の代価を支払ってくださり、私たちを罪の奴隷の身から自由にし、聖なる神の⺠としてくださいました。さらに、聖なる⺠として、まことの神に用いられる生活へと導いてくださったのです。

 

2、この終わりの時に至って

「キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである」と記されています。このみことばは、終わりの時とは、主イエスのご降誕によって、もうすでには始まっていることを明らかにしています。そして、神の救いは、主イエスの再臨の時に、完成するのです。御子イエスの血によって、私たちの罪を赦し、ご自身の子どもとする贖いの御業は、神様の永遠のご計画のもとで行われたことであり、そのご計画は、神様の変わることのない愛によって貫かれているのです。

 

3、神にかかっている信仰と望み

私たちの信仰とは、キリストを死人の中から復活させて、栄光をお与えになった神様をキリストによって信じることです。キリストの復活によって、私たちには決して揺らぐことがない永遠の希望が与えられています。この神にかかっている信仰と希望こそが、試練の中においても、私たちに生きる喜びと平安と力を得させるのです。神に召された、神の聖なる⺠として、私たちはその恵みに立って、神様のために用いられ、神様のために生きる使命が与えられています。キリストの再臨を望み見て、聖なる方に倣い、私たちの信仰と希望を証ししつつ、主の栄光のために歩んでいきましょう。