聖日礼拝メッセージの要約(2023. 8. 13.)
「ほんとうの安息」
ヨハネによる福音書 5章10〜18節
そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。(ヨハネ5:17)
1、安息なき人々
主イエスは、38年間も病気のために立ち上がれなかった人をいやされました。ユダヤ人たちは、そのいやされた人に対して、「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」と言いました。彼らの口伝律法によれば、床を取り上げることは労働にあたり、安息日を破ったと批判しているのです。当時の人々は、口伝律法による細則によって、がんじがらめにされて、神様の安息に生きることができずにいたのです。その原因は、律法を守ることによって、罪の問題を解決し、自分を救おうとする律法主義にあったのです。
2、主の恵みにふさわしく
主イエスは、そのいやされた人に、「もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたの身に起るかも知れないから」と言われました。主イエスによって救われたその人が、罪の生活に舞い戻るならば、より深刻な罪の生活へと堕落していく危険性があります。主イエスは、その人に対して、救われた恵みにふさわしい生活を送るようにと忠告したのです。これは、主イエスを信じて終わりというのではなく、主イエスを信じ続け、主イエスに結びつき、主イエスの愛にとどまり続けることを励ます恵みの言葉であるのです。
3、今も働かれる主
主イエスは、ユダヤ人に対して、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」と答えられました。私たちの神は、天から地上を見下ろして休んでおられる方ではなく、罪の中に苦しむ私たちのために、人となって地上に来られ、救いの御業を成し遂げてくださった方です。主イエスは、十字架の死によって、私たちの罪を贖い、ご自身の復活によって、死の力を打ち破り、私たちに、まことの安息を与えてくださいました。主イエスは、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」と言われました(マルコ2:27)。キリストの十字架と復活によって、私たちは神様との平和が与えられ、まことの安らぎを得て、主とともに生きる恵みが与えられているのです。本当の安息はここにあります。主の安息の恵みに生かされて、主とともに歩んでいきましょう。