「喜びをともに喜ぶ」7月16日

 聖日礼拝メッセージの要約(2023. 7. 16.)

「喜びをともに喜ぶ」

ヨハネによる福音書 4章27〜38節

 

刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。(ヨハネ4:36)

 

1、水がめを置いて

サマリヤの女性は、主イエスとの対話を終えて、自分の水がめを置いて町へ行きました。「自分の水がめを置く」とは、これまでの生き方に別れを告げて、主イエスを信じて与えられた新しい命に生きるということを示しています。人目を避けて生きてきた彼女は町へと行き、自分を見下していた人々に、主イエスを証しました。彼女は、主イエスとの出会いを通して、罪から救われ、まことの神を礼拝する者となり、さらには、伝道者へと変えられたのです。

 

2、主イエスの食物

主イエスは、弟子たちに、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである」と言われました。主イエスの食物とは、すなわち、ご自身の十字架の死と復活によって、私たちに永遠のいのちを得させることです。主イエスは、十字架の受難を控えて「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」と祈られました。私たちを救うために、自分の願いや思いではなく、父なる神のみこころに従われたのです。

 

3、目をあげて畑を見なさい

主イエスは、十字架と復活によって、神の御心を行われ、神の救いの御業を成し遂げられ、福音の種を蒔いてくださいました。主イエスは、「目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている」と言われています。主イエスが撒いてくださったものを、私たちが刈り取ることは、主イエスにとっても、また、私たちにとっても喜びであるのです。私たちの目の前には、主イエスが成し遂げてくださった御業による労苦の実が広がっています。私たちも、主イエスの労苦の実であり、主イエスの労苦の実を刈り取るという尊い恵みにあずかっていることを覚え、うつむくことなく、色づいた畑に目を上げ続けようではありませんか。収穫の主であるイエス・キリストに遣わされ、用いてくださる恵みに感謝し、主イエスの喜びをともに喜びつつ、主イエスの御声に聞き従っていきましょう。