「そうだ、今がその時」7月9日

 聖日礼拝メッセージの要約(2023. 7. 9.)

「そうだ、今がその時」

ヨハネによる福音書 4章19〜26節

 

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。(ヨハネ4:23〜24)

 

1、知っているかたを

主イエスの言葉によって、サマリヤの女性は自分の罪を示されました。罪の解決を迫られた彼女は、自分の罪のためにどこで礼拝をささげればよいのかという疑問を持ちました。主イエスは、彼女に対して「あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している」と言われました。礼拝において大切なことは場所ではなく、対象であるということです。すなわち、どこで礼拝をするかではなく、どなたを礼拝するのか、それこそが礼拝のいのちであると言われているのです。

 

2、まことの礼拝

主イエスは「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」と言われました。霊をもって礼拝するとは、主イエスを救い主として信じ、聖霊によって新しく生まれ、神様の子どもとして、父なる神を礼拝するということです。まことをもって礼拝するとは、真理をもって礼拝するということです。主イエスは真理です。私たちは真理である主イエスを通して、父なる神のみもとに近づき、礼拝をささげ、豊かな交わりに生きることができるのです。霊とまことによって、父なる神を礼拝するのは「今きている」と、主イエスは言われます。主イエスを信じたその瞬間に、まことの礼拝の道は開かれるのです。

 

3、キリストと呼ばれるメシヤ

主イエスは、「わたしが、それである」と言われ、サマリヤの女性に、ご自分こそが、救い主であることを明らかにされました。まことの礼拝とは、場所、儀式、制度によるものでもなく、身分、⺠族、性別によって制限されるものではありません。まことの礼拝は、主イエスの救いによって完成され、私たちは霊とまことをもって、神様を礼拝する恵みにあずかっています。まことの礼拝者として、いつでも、どこでも、まことの礼拝をささげ、神様との豊かな交わりに生きることのできる恵みを喜び、感謝しつつ、キリストを見上げてともに歩んでいきましょう。