「神の愛に生かされて」6月11日

聖日礼拝メッセージの要約(2023. 6. 11.)

「神の愛に生かされて」

ヨハネによる福音書 3章16〜21節

 

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)

 

1、神はそのひとり子を

ヨハネ3章16節について、マルティン・ルターは、「これは聖書の縮図、また小さき福音書である」と述べました。神様は私たちを愛するがゆえに、独り子である主イエスを私たちに与えて下さいました。私たちを罪と死から救うために、愛する御子を十字架において死に渡して下さったのです。私たちは、それほどまでに大切な存在として神様に愛されているということをまず知る必要があります。私たちは、主イエスを信じることによって、神様の愛を受け取り、神様との永遠の交わりの中に生きることができるのです。

 

2、神のひとり子の名を

「彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである」とあります。永遠のいのちとは、未来永劫に続くいのちという以上に、キリストに結ばれ、救われている状態を意味し、罪を贖い、死に勝利したいのちを示しています。主イエスを信じるとはすでに救われている状態にあり、信じないとはすでにさばかれている状態にあるのです。永遠の命も、さばきも死んだ後のことではなく、今のことであるのです。私たちは、主イエスを信じたその瞬間に、今も生きておられるキリストに結ばれ、永遠の命に生きるのです。

 

3、神にあってなされた

「...真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである」と記されています。主イエスは、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われています(14:6)。真理を行うとは、主イエスにあって生きるということです。主イエスにあって生きるとは、神様の光に照らされた自分の罪の姿を認めて、神様によって愛されていることを信じて、キリストにある勝利と希望に生きることです。自分が何をしたのではなく、神様にあってなされたことを感謝し、喜び生きることです。私たちの人生は、キリストの十字架による神様の愛によっていつも生かされ、支えられ、導かれてい

ることを覚えつつ、新しい週も主とともに歩んでいきましょう。