「風は思いのままに」5月28日

ペンテコステ礼拝メッセージの要約

(2023. 5. 28.)

「風は思いのままに」

ヨハネによる福音書 3章1〜8節

 

風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。(ヨハネ3:8)

 

1、夜の訪問者

ユダヤ人の指導者であり、律法の教師でもあったニコデモは、夜に、主イエスを訪ねました。彼は、世の人の尊敬と羨望の対象であったものの、心は飢え渇き、暗闇に覆われていました。しかし、彼は、その暗闇の中において、一筋の光を、主イエスに求めていたのです。その姿は、昼間に、しるしだけを求めて、主イエスを追いかける多くの人々とは異なります。彼らには、生活での悩みや苦しみはあったかもしれませんが、罪への嘆きはありませんでした。しかし、ニコデモは、自分の力ではどうしようもない根深い罪の現実を見つめていたのです。

 

2、新生の必要

主イエスは、ニコデモに対して、「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と言われました。神の国を見るとは、すなわち、聖霊によって新しく生まれ、神の国の⺠となることを意味しています。ニコデモは、主イエスを「先生」、「教師」と呼び、新しい教え、新しい教訓を請いに来ました。それらを頂いて、自分の行いを改善し、より正しいものにしようと思っていたのです。しかし、主イエスは、新しく生まれることが、あなたには必要であると言われたのです。神の御霊によって、新しく生まれるというのは、人間の理解を超えたものであり、信仰によって初めて受け入れることができるのです。

 

3、風は思いのままに

主イエスは、「風は思いのままに吹く」と言われています。聖霊の働きも、人が操作できるものではありません。私たちが新しく生まれるというのは、聖霊による働きです。風はどこから来てどこへ行くのかは分からないように、神の主権の御業として、聖霊は働かれます。風は見えませんが、風の音は聞くことはできます。また、風が通り過ぎた後の結果は見ることはできます。風によって、草木や花は揺れます。それと同じように、聖霊は見えませんが、聖霊によって私たちは新しく生まれ、聖霊によって私たちはきよめられ、私たちのうちに御霊の実は結ばれていくのです。聖霊の働きを祈り求めつつ、御霊の声に聞き従い歩んでいきましょう。