礼拝メッセージの要約(2023. 5. 21.)
「聖霊の宮として」
ヨハネによる福音書 2章13〜25節
イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。(ヨハネ2:19)
1、キリストの怒り
エルサレムの神殿の境内には、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっていました。神殿での礼拝は形骸化し、礼拝の場である神殿は商売の場となり、神殿で仕える者たちの内面は腐敗していたのです。主イエスは羊も牛もみな神殿から追い出し、両替人の金を散らし、その台を打ち倒されました。主イエスは、「わたしの父の家を商売の家とするな」と言われています。神殿というのは、本来、神様の臨在の場所であり、神様との交わりの場所です。主イエスは、神様の栄光が汚され、神様との真実な交わりが失われていることに激怒されたのです。
2、キリストの熱心
弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こしました(詩篇69:9)。これは、主イエスの神殿を思う熱心が、すなわち、まことの礼拝を望む切なる思いが、主イエスご自身を食い尽くすという意味です。それは、主イエスの十字架の死を示しています。私たちには、主イエスを信じることによって、キリストの十字架によって罪が赦され、神様のものとされるという恵みにあずかりました。それだけでも素晴らしく有難い恵みですが、私たちには生けるまことの神様を礼拝するという恵みにもあずかっているのです。
3、キリストのからだ
主イエスは、宮清めの権威のしるしを求めるユダヤ人に対して、「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」と言われました。神殿をこわすとは主イエスの十字架の死を意味し、三日でそれを建てるとは主イエスの復活を意味しています。主イエスの死によって、古い神殿は葬られ、主イエスの復活によって、新しい神殿が建設されたのです。新しい神殿とは、ご自身のからだである教会です(1コリント3:16)。主イエスを信じた者には聖霊が宿り、「神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物」として、自分自身を神様にささげていく恵みにあずかるのです(ローマ12:1)。日々、主を見上げて、まことの礼拝者として歩んでいきましょう。