「ひとり子なる神」3月26日

礼拝メッセージの要約(2023. 3. 26.)

「ひとり子なる神」

ヨハネによる福音書 1章14〜18節

 

神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。(ヨハネ1:18)

 

1、言は肉体となり

「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」とあります。この「言」とは、神様のひとり子である、主イエス・キリストを指しています。ひとり子なる神は、人間となって、私たちのもとに来てくださいました。天におられたひとり子なる神は、飼い葉桶の上にお生まれになり、十字架の死に至るまでも、低きところに降ってくださいました。神の御子は、天の栄光を捨てて、何よりも、私たちに仕えてくださったのです。御子イエスによる神様の語りかけを聞き、主イエスと結ばれることによって、私たちは罪の中から救われ、神様のいのちに生かされるのです。

 

2、恵みとまこと

「めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきた」とあります。恵みとまことは、主イエスのご人格と御業のうちに完全にあらわされています。「恵み」とは、神様からの一方的なあわれみであり、本来受けるに価しない者が受ける神様のご好意を意味しています。「まこと」とは、主イエスのことばと御業は、一つとして破られることなく、必ず成し遂げられるという、神様の真実さを示しています。主イエスは、ご生涯を通して、神様の恵みとまことをあらわされました。その究極の姿が、ご自身の十字架の死と復活であるのです。

 

3、ひとり子なる神

「ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわした」とあります。「ひとり子なる神」は、人間となって、私たちのもとに来られ、父なる神とはどのようなお方であるかを示されました。主イエスは、「わたしと父とは一つであ

る」(ヨハネ10:30)と言われました。主イエスを信じることは、父なる神を信じることであるのです。主イエスを信じる信仰によって、私たちも、父なる神の子どもとされ、父なる神との親しい交わりの中に招かれるのです。御子の十字架の死と復活によって、その豊かで尊い恵みに生かされていることを深く覚えて、受難週とイースターをお迎えしましょう。