「ただ神によって」3月19日

礼拝メッセージの要約(2023. 3. 19.)

「ただ神によって」

ヨハネによる福音書 1章9〜13節

 

それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。(ヨハネ1:13)

 

1、まことの光

「すべての人を照すまことの光」とは、主イエス・キリストを指しています。まことの光とは、いずれは過ぎ去り、消えゆく光ではなく、いつまでも光り輝く、永遠の命の光であるということです。聖書は、「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている」と記しています(エペソ5:8)。「やみ」とは罪の暗闇を示しています。主イエスこそ、すべての人を分け隔てなく照らし、私たちを罪の中から救い、永遠のいのちを得させる、まことの光であるのです。

 

2、その名を信じた人々

「その名を信じる」とは、キリストの御名の中に自分自身を投げ入れるという意味です。それは、主イエスを信頼し、自分自身を主イエスに明け渡すということです。それは、神の救いを受け取るために、必要不可欠な態度です。キリストの御名を信じた者たちには、神様の子どもとされる特権が与えられます。それは、父なる神が、この私の父となり、「父よ」と呼びかける、親しい愛の関係、本来のあるべき正しい関係に入れられることです。父なる神と子なる神との親しい愛の交わりに私たちもあずかることがゆるされる、それが、神の子とされる特権であるのです。

 

3、ただ神によって

私たちの社会では、血筋や名声、地位や財力、権力によって、受け入れられたり、無視されたりします。神様は、私たちをそのようには扱われません。私たちが神様の子どもとされたのは、私たちの血筋によってではなく、私たちの努力でもなく、私たちの意志でもなく、ただ神様の恵みによるものです。私たちは、神様の前に何も誇るものはありません。誇るものがあるとすれば、主イエスであり、キリストの十字架です。キリストの十字架によって、私たちは救われ、私たちは赦され、神の子どもとして受け入れられたのです。キリストの十字架によって、神様の子どもされた恵みに感謝しつつ、キリストの愛の中を、神様の愛の中をともに歩んでいきましょう。