「喜び溢れる旅へ」10月23日

聖⽇礼拝メッセージの要約(2022. 10. 23.)

「喜び溢れる旅へ」

使徒⾏伝 8章26〜40節

 

ふたりが⽔から上がると、主の霊がピリポをさらって⾏ったので、宦官はもう彼を⾒ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。(使徒⾏伝 8:39)

 

1、救いを求める者

エチオピヤの宦官は、エチオピヤから遠く離れたエルサレムまで礼拝に⾏き、聖書を購⼊し、帰途にあっても読んでいました。それは、彼は真⼼から神様を求めていたということです。彼には、神の救いを真摯に求める⼼があったということです。 神様は、そのような彼のもとに、キリストの福⾳の使者として、ピリポを遣わされました。たとえどのような場所でも、どのような時であっても、その⼈がどのような⽴場であっても、神様は救いを求める⼼に応えて、福⾳を伝えるために、⼈を送られるということです。

 

2、救いを伝える者

旧約聖書には、「すべて去勢した男⼦は主の会衆に加わってはならない」と記されています(申命記23:1)。この宦官にとっては、いくら熱⼼に神様を慕い、真理を求めても、この律法の壁が⽴ちはだかっていました。しかし、イザヤ書には、「宦官もまた⾔ってはならない、『⾒よ、わたしは枯れ⽊だ』と」と記され(56:3)、宦官の救いが預⾔されています。ピリポは、イザヤ書の53章から説き 起こして、主イエス・キリストの福⾳を、この宦官に宣べ伝えました。キリストの⼗字架によって、隔ての壁は取り除かれ、ユダヤ⼈も、異邦⼈も、宦官も関係なく、主に連なる者はすべて主の⺠とされるのです。

 

3、救いをよろこぶ者

エチオピヤの宦官は、ピリポによるイザヤ書の解き明かしを聞いて、主イエス・ キリストを信じる信仰へと導かれました。彼は、「わたしは、イエス・キリストを神の⼦と信じます」と信仰を告⽩し、バプテスマを受けました。まことの神を慕い、 真理を求めてきた彼が、ついに、神の救いに与ったのです。この宦官の姿は、私たちの姿でもあります。救いを求める者がいて、救いを宣べ伝える者がいて、そして、救いの喜びにいたる者がいるのです。宦官は喜びながら旅を続けました。私たちも、キリストにあって喜び溢れる旅を続けていきましょう。