「キリストの心で」9月18日

礼拝メッセージの要約(2022. 9. 18.)

「キリストの⼼で」

ピリピ⼈への⼿紙 2章1〜11節

 

おのおの、⾃分のことばかりでなく、他⼈のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に⽣かしなさい。 (ピリピ2:4〜5)

 

1、キリストにある⼀致

ピリピ教会では、ユウオデヤとスントケという婦⼈が何らかの理由で仲違いをしていました(4:2〜3)。彼⼥たちは、主イエスの福⾳を広めるために、パウロに協⼒してともに励んでいた者たちでした。そのような背景もあって、パウロは、 ピリピ教会の信徒たちに、キリストにある⼀致を保ち、同じ愛の⼼を持ち、⼼を合わせ、志を⼀つにするように励ましています。キリストのからだである教会に召された⼀⼈⼀⼈が、キリストをかしらとして、キリストにあって⼀つとして歩むこと は、主イエスの祈りであり、私たちキリスト者の喜びであるのです。

 

2、キリストの⼼で

パウロは、「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に⽣かしなさい」と記しています。アンドリュー・マーレーという牧師は、「主イエスが来られた⽬的は、地上に謙遜を取り戻すため、私たちを謙遜にあずからせるため、それによって、私たちを救うためだ」と述べています。謙遜とは、神の前での本来の正しい態度であり、もともと神の場所にあったものを、神に明け渡すということです。私たちは、主イエスを信じ、神の⼦どもとして、本来あるべき場所に⽴って、キリストの⼼で⽣きるように召されているのです。

 

3、キリストの御名によって

パウロは、「それゆえに、神は彼を⾼く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった」と記しています。キリストの謙遜は、神はへりくだる者には恵みを与えてくださるお⽅であるという確信を私たちに与えます。主イエスにならい、神の御前に⽴って、「イエス・キリストは主である」と告⽩し、その告⽩に⽣きることこそが、キリストにある⼀致を固く保ち、キリストの福⾳を信じているという証となるのです。私たちの救いであり、私たちの真の謙遜である、主イエス・キリストを⾒上げて、キリストの⼼を⼼としてともに歩んでいきましょう。