「キリストにあって一つ」9月4日

創⽴・献堂記念礼拝メッセージの要約(2022. 9. 4.)

「キリストにあって⼀つ」

エペソ⼈への⼿紙 2章11〜22節

 

ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの⾎によって近いものとなったのである。(エペソ2: 13)

 

1、遠くにいたわたしたち

「あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが」とありますが、これは、 かつての異邦⼈のキリスト者のことを指しています。異邦⼈とはユダヤ⼈以外の⼈々のことです。彼らは、ユダヤ⼈とは違い、神の契約の⺠ではなく、キリストを待ち望む希望もなく、神殿での礼拝にも参列できない者たちでした。パウロは、 「この世の中で希望もなく神もない者であった」と記していますが、⼈⽣において、まことの希望もなく、まことの神も知らない者たちであったのです。

 

2、近い者とされたわたしたち

そのように以前は神様から遠く離れていた異邦⼈たちも、今ではキリスト・イエスに結ばれて、キリストの⾎によって神様に近い者とされたと、パウロは述べています。これは、私たちにも向けられた神様の恵みです。神の御⼦イエスは、私たちのもとに来てくださり、私たちを罪から救い出すために、⼗字架の上で死んでくださいました。私たちは、キリストの⾎によって、罪を赦され、神様との平和が与えられ、神の⺠とされたのです。神様に近い者とされたのです。

 

3、⼀つとされたわたしたち

キリストの⼗字架は、神様と⼈間という縦軸の関係だけではなく、ユダヤ⼈と異邦⼈という横軸の関係においても、まことの平和をもたらしました。神様は、キリ ストの⼗字架によって、彼らの間にあった敵意という隔ての壁を打ち壊し、キリストにある平和を実現してくださったのです。以前は、ともに罪⼈であった者たちが、今やキリストの⼗字架によって、敵意ではなく、神の赦しの愛に⽣きる恵みに あずかっているのです。パウロは、「だから、記憶しておきなさい」と⾔い、神様の豊かな恵みを⼼に留めるようにと訴えています。⾃らの⼗字架の死によって、ま ことの平和を実現して下さったキリストをともに⾒上げて、キリストにあって⼀つのからだとして、ともに歩んでいきましょう。