「主の御声に従う」8月21日

礼拝メッセージの要約(2022. 8. 21.)

「主の御声に従う」

サムエル記上 15章17〜23節

 

サムエルは⾔った、「主はそのみ⾔葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。⾒よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄⽺の脂肪に まさる。(サムエル記上15:22)

 

1、サウル王の堕落

イスラエルの初代の王サウルは、元々、引っ込み思案で臆病な⻘年でした。王に選び出された時には、⼈⽬を避け、荷物の間に隠れるほどでした。しかし、アンモ ン⼈との戦いに勝利し、⼈々の評価は⼀変しました。この急速な成功によって、サウルは神様の前での謙虚さを失い、傲慢になりました。⺠の声ばかりを気にして、 主なる神のみことばに忠実に聞き従うことをしなかったのです。

 

2、サウル王の⾔い訳

主なる神が、アマレク⼈とそのすべてのものを滅ぼすようにと命じられましたが、サウルはそれに従いませんでした。サウルは、⾃分の⽬で判断し、価値のあるものは残しておいて、値打ちのないものだけを滅ぼしたのです。神様のみことばに聞き従わなかったことを指摘されると、サウルはそれを⺠のせいにしました。神様のみことばに従わず、罪を犯し、罪を指摘されると、他⼈のせいにする。これは、 ⼈類の最初の罪に⾒られるものです。サウルは、「主にささげるため」という美しい⾔葉を⾔い訳に、主のみことばをおろそかにしたのです。

 

3、サウル王の失脚

サウルは、主なる神のみことばに聞き従わなかったために、イスラエルの王位から退けられることになりました。私たちのまことの王であるイエス・キリストは仕える姿をとり、⽗なる神の御⼼に⼗字架の死にいたるまで従われ、私たちのために救いの道を開いてくださいました。サウルという名前は、「尋ね求める」、「祈り求める」という意味です。私たちは、神様の御前において、キリストの謙虚さを学びつつ、キリストの⼗字架を⾒上げて、神様の御⼼を尋ね求め、神様の愛と⼒を祈り求める者でありたいと思います。キリストの⼗字架の恵みによって、新しいいのちに⽣かされていることに感謝しつつ、主と主のみことばに聞き従い歩んでいきましょう。