礼拝メッセージの要約(2022. 7. 24.)
「主に喜ばれる者」
2コリント⼈への⼿紙 5章1〜10節
そういうわけだから、⾁体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、⼼からの願いである。(2コリント5:9)
1、地上の歩み
「地上の幕屋」というのは、私たちの⾁体を表し、それは同時に、地上での⽣活を意味しています。「神からいただく建物」とは、主イエスが再び来られた時に、与えられる復活の栄光のからだを意味しています。主イエスを信じる者たちにとって、死は終わりではなく、神の救いの完成であるのです。この救い完成を待ち望みつつ、キリストから与えられたいのちを⽣きる、これが、キリスト者の地上の歩みであるのです。
2、御霊による歩み
主イエスが再び来られる時に、「神からいただく建物」、すなわち、栄光に満ちた復活のからだが与えられるということは、主イエスを信じる者たちに、御霊が与えられたことによって保証されています。また、パウロは、「わたしたちは、⾒えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。それで、わたしたちは⼼強い」と告⽩しています。主イエスを信じることによって、私たちは主イエスのものとされ、信仰によって、主イエスを⾒つめて歩んでいるのです。
3、主に喜ばれる歩み
パウロは、「そういうわけだから、⾁体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、⼼からの願いである」と述べています。また、パウロは、別の⼿紙の中でも、「⽣きるにしても死ぬにしても、わ たしたちは主のものなのである」と告⽩しています(ローマ14:8)。主イエスを信じた時に与えられた聖霊によって、私たちには、栄光に満ちた復活のからだが与えられるということはすでに保証されています。キリスト者にとっては、⽣きるか死ぬかではなく、⽣きるのも死ぬのも、キリストであるのです。⽣きるにしても、死ぬにしても、主に喜ばれることこそが、私たちの⽣きる⽬的であるのです。 主に喜ばれる者として、救いの完成を待ち望みつつ、信仰によって、御霊によって、キリストとともに、キリストのために歩んでいきましょう。