「復活の信仰」4月24日

礼拝メッセージの要約(2022. 4. 24.)

「復活の信仰」

ヨハネによる福⾳書 20章19〜29節

 

トマスはイエスに答えて⾔った、「わが主よ、わが神よ」。イエスは彼に⾔われた 、「あなたはわたしを⾒たので信じたのか。⾒ないで信ずる者は、さいわいである 」。(ヨハネ20:28〜29)

 

1、「安かれ」

主イエスが⼗字架の上で死なれ、弟⼦たちはユダヤ⼈たちを恐れて、家の⼾をみな閉じて隠れていました。彼らの⼼の中は、主イエスを失った悲しみと絶望、また、迫害に対する恐れや不安でいっぱいでした。そのような彼らのもとに、復活された主イエスは来られ、彼らの真ん中に⽴って、「安かれ」と⾔われました。主イエスは、ご⾃⾝の⼗字架の死と復活によって、私たちが罪と死に⽀配されるのではなく、神様との平和と永遠のいのちに⽣きる者としてくださいました。主イエス は、私たちに、まことの平安を与えてくださったのです。

 

2、「わが主よ、わが神よ」

弟⼦の⼀⼈であるトマスは、主イエスの⼗字架での傷跡を⾃分の⽬で⾒て、⾃分の⼿と指で触らなければ決して信じないと⾔い張ります。そのように疑うトマスにも、主イエスは訪ねてくださり、「安かれ」と⾔われ、その傷跡をお⾒せになりました。トマスの⽬の前には、道であり、真理であり、命であるキリストが⽴たれたのです(ヨハネ14:6)。トマスは、「わが主よ、わが神よ」と、主イエスへの信仰を告⽩しました。私たちも、この信仰告⽩をもって、キリストの平安に⽣き、 礼拝をささげる恵みにあずかっているのです。

 

3、「⾒ずに信じる者は」

主イエスは、トマスに対して、「あなたはわたしを⾒たので信じたのか。⾒ないで信ずる者は、さいわいである」と⾔われました。⾒ないで信ずる者のさいわいは、今を⽣きている私たちのためにとっておかれた祝福であるのです。「あなたがたは、イエス・キリストを⾒たことはないが、彼を愛している。現在、⾒てはいないけれども、信じて、⾔葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである」(1ペテロ1:8〜 9)。死を打ち破り、復活の⼒によって、今も私たちを祝福してくださっている主イエスを仰ぎ⾒つつ、神様の愛の中を歩んでいきましょう。