「復活の主イエス」4月17日

礼拝メッセージの要約(2022. 4. 17)

「復活の主イエス」

ルカによる福⾳書 24章13〜34節

 

彼らは互に⾔った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださった とき、お互の⼼が内に燃えたではないか」。(ルカ24:32)

 

1、ふたりの弟⼦が

復活された主イエスが、ふたりの弟⼦に近づき、語りかけ、彼らとともに歩まれました。しかし、彼らの⽬はさえぎられ、主イエスだとはわかりませんでした。彼らは、⾃分の願望や期待によって、主イエスを理解していました。彼らが主イエスに望みをかけていたことが実現せず、彼らは悲しみに沈み、途⽅に暮れていたのです。主イエスは、そのような彼らに近づき、語りかけ、彼らとともに歩まれました。それは、私たちが絶望や落胆、疑いや混乱の中にあっても、主イエスは私たちとともに歩んでくださるということです。

 

2、復活の主イエスによって

主イエスは、聖書全体の中で、ご⾃⾝について書かれている事がらを彼らに解き明かされました。この時、彼らは初めて⾃分たちの議論や分析をやめて、主イエスによる聖書の解き明かしに⽿を傾けたのです。これは、私たちに、⾃分の願望や思い込みによるのではなく、聖書を拠り所にして、主イエスを知ることを教えておられるのです。主イエスがパンを裂かれ、渡された時に、彼らの⽬が開けて、その⽅が主イエスだとわかりました。この時に、彼らは、主イエスの⼗字架の意味をさとり、⼗字架で死んだ主イエスはよみがえられたということを知ったのです。

 

3、燃える⼼に

主イエスとわかったふたりの弟⼦は、「道々お話しになっている間も、聖書を説 明してくださった間も、私たちの⼼はうちに燃えていたではないか」と話し合いました。彼らの冷え切った⼼は、復活の主が語りかけ、聖書を解き明かしてくださったことによって、燃える⼼に変えられたのです。彼らは、夜にもかかわらず、いてもたってもいられずに、燃える⼼をもって、希望と喜びに満たされて、エルサレムへと急ぎました。復活の主との出会いによって、絶望が希望に変わり、この良き知らせを伝える者になったのです。私たちも、復活の主を⼼の中に迎え⼊れ、キリストの御声に聞き従い、⼼燃やされて歩んでいきましょう。