「十字架につけよ」3月20日

 

礼拝メッセージの要約(2022. 3. 20)

「⼗字架につけよ」

マルコによる福⾳書15章6〜15節 

 

ピラトは⾔った、「あの⼈は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると、彼ら は⼀そう激しく叫んで、「⼗字架につけよ」と⾔った。それで、ピラトは群衆を満⾜させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、⼗字架につけるために引きわたした。」。(マルコ15:14〜15)

 

1、主イエスとバラバ

主イエスの周りには、⼈間のあらゆる罪、貪欲、打算、利⼰⼼、殺意、弱さが渦巻いていました。しかし、そのような状況の中で、主イエスだけが、ただ⼀⼈、 ⽗なる神への献⾝と従順を貫かれました。それは、私たちを罪と死から救うためであったのです。⼈間のあらゆる罪を背負って、⼗字架の上でいのちを捨ててくださったのです。バラバは、本来、⼗字架で処刑されるはずでしたが、主イエスが⾝代わりになってくださったおかげで釈放されました。このバラバは、私たちの姿でもあるのです。

 

2、バラバとわたしたち

バラバは、暴動と殺⼈のかどで投獄されていた犯罪者です。バラバは、「⽗の息⼦」という意味であり、イエスという名前でした。⽗なる神の御⼦である主イエスと「⽗の息⼦」と呼ばれるバラバ・イエス、この⼆⼈のイエスが、⼗字架を巡って接点を持つことになったのです。罪の無い神の御⼦である主イエスが⼗字架につけられ、バラバと呼ばれるイエスの罪が赦されたのです。バラバが救われたのは、神様の恵みであり、このバラバの姿に、私たちも、キリストの⼗字架によって赦され 、救われた者たちであることを知るのです。

 

3、主イエスとわたしたち

⾔い伝えによると、その後、バラバは、主イエスが⾃分のために死んでくださったことを知り、悔い改めと信仰へと導かれました。そして、⼩アジア(現在のトルコ)で、キリストの福⾳を宣べ伝え、素晴らしい働きをしたと伝えられています。 バラバは、主イエスの⼗字架によって救われた恵みに、信仰をもって応答し、神様に対して、従順と献⾝をもって歩みました。私たちも、「⼗字架の悩みは わが罪のためなり」(新聖歌108番)と、⼗字架の主を仰ぎつつ、キリストの恵みに応えて、信仰の旅路をともに歩んでいきましょう。