「十字架を負って」3月27日

礼拝メッセージの要約(2022. 3. 27)

「⼗字架を負って」

ルカによる福⾳書 23章26節

 

彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ⼈が郊外から出てきたのを捕えて⼗字架を負わせ、それをになってイエスのあとから⾏かせた。(ルカ23:2 6)

 

1、主イエスとクレネ⼈シモン

ローマの兵⼠たちは、クレネ⼈シモンを捕らえて、主イエスの⼗字架を負わせて 、主イエスのあとから運ばせました。クレネ⼈シモンは、思いがけない形で、無理やりに⼗字架を背負わされ、主イエスのあとを歩むことになったのです。この時、 シモンにとっては、まったくの災難であり、なぜ罪⼈の⼗字架を背負わされる⽻⽬になったのだろうかと思ったでしょう。⼗字架を背負わされるとは、神様による⽅ 向転換と⾔えます。⾃分の思いや意思を超えたところで、神様の御⼿が働かれ、神様の御⼼が⽰されたのです。

 

2、クレネ⼈シモンとわたしたち

クレネ⼈シモンは、思わぬ形で、⼗字架を背負わされることになりました。それだけではなく、主イエスのあとを歩むことになりました。主イエスは、「⾃分の⼗字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟⼦となることはできない」と⾔われました(ルカ14:27)。シモンのその姿は、主イエスが⾔われ た、キリストの弟⼦としての⽣き⽅があらわされているのです。無理やりに負わされた⼗字架ですが、シモンは、キリストの⼗字架を通してあらわされた神様の愛と恵みに触れることになったのです

 

3、主イエスとわたしたち

このクレネ⼈のシモンは、のちに、主イエスを信じ、教会の指導者の⼀⼈になり ました。彼の妻も、また、彼の息⼦たちも、キリスト者となり、キリストのからだである教会に連なる者になったのです(ローマ16:13)。無理やり背負わされ た⼗字架ですが、シモンは、主イエスは⾃分を救うために、⾃分の罪を背負って、 ⼗字架の道を歩んでくださったことを知ったのです。主イエスが、私たちを救い、赦し、⽀え、背負ってくださっているという恵みを覚えて、神様の愛と恵みを味わ いながら、主イエスに従っていきましょう。