「真理につく者」3月13日

  礼拝メッセージの要約(2022. 3. 13)

「真理につく者」

ヨハネによる福⾳書 18章33〜40節

 

そこでピラトはイエスに⾔った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの⾔うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために⽣れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に⽿を傾ける」。(ヨハネ18:37)

 

1、主イエスとピラト

主イエスは、ローマ総督であるポンテオ・ピラトの前に⽴たれました。ピラトは、主イエスと真実な関わりを持とうとはしませんでした。ピラトは、主イエスに対して、四つの質問を投げかけますが、それはどれも、彼の⾃⼰保⾝や真理への無関⼼に基づいています。ピラトは、主イエスに問うているのではなく、実は、問われている存在であることに気づくべきでした。それは、私たちも同じであり、主イエスとの真実な関わりを持つかどうかを問われているのです。

 

2、ピラトとわたしたち

ピラトは、主イエスは無罪であり、ユダヤ⼈の指導者たちが、ただ嫉妬の炎を燃やして、イエス様を処刑し、殺害したいだけだということは分かっていました(マ タイ27:18)。しかし、彼はひたすら主イエスとの関わりを避け、総督としての⾃分の責任を、群衆の声に委ねました。私たちは、ピラトから、⾃分の責任を逃れ、⾃⼰保⾝に終始する権⼒者の姿を⾒ます。それは、私たちが本来軽蔑し、忌み嫌うものですが、私たち社会全体を覆う罪や弱さと⾔えます。ピラトの姿は、私たち⾃⾝の姿であるのです。

 

3、主イエスとわたしたち

聖書には、「愛はすべてのとがをおおう」とあります(箴⾔10:12)。また、賛美歌(新聖歌343番)には、「罪は海の如く わが⼼ 覆えど 神はさらに 強き恵みもて救えり」とあります。「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」という告⽩が、主の前における⾃分⾃⾝の悔い改めと信仰告⽩となる⼈は幸いです。 私たち⼈間全体を覆う罪や弱さすべてを⼗字架の上で引き受け、命を捨ててくださったキリストの愛に感謝しようではありませんか。私たちは真理につく者として、 ⾃分のために死んでくださった⽅のために⽣きるという思いをもって、主イエスと ともに歩んでいきましょう。