「主の約束に生きる」3月6日

 聖⽇礼拝メッセージの要約(2022. 3. 6.)

「主の約束に⽣きる」

申命記 34章1〜8節

 

そして主は彼に⾔われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの⼦孫に与えると⾔って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの⽬に⾒せるが、あなたはそこへ渡って⾏くことはできない」。こうして主のしもべモーセ は主の⾔葉のとおりにモアブの地で死んだ。(申命記 34:4〜5)

 

1、ピスガの頂

モーセは、荒野での40年の旅を経て、ついに、ネボ⼭のピスガの頂から約束の地を望み⾒ました。しかし、主なる神は、彼に対して、そこには渡って⾏くことは できないと⾔われました。これは、モーセが主の⾔葉に従わず、杖で岩を⼆度打ったことが原因とされています(⺠数記20:11〜12)。⾮常に厳しく思えます が、モーセが約束の地に⼊れなかったことは、キリストの⼗字架の救いの完全性をあらわしているのです(1コリント10:1〜5、ヘブル10:25〜28)。神の救いとは、⼈間の努⼒や⾏為ではなく、恵みと信仰によるのです。

 

2、モーセの死

「主の⾔葉のとおりにモアブの地で死んだ」とあります(34:5)。モーセの⼈⽣は波瀾万丈で、それぞれの出来事には何のつながりがないように⾒えますが、 すべて神様の⼤きな計画の中にあったのです。モーセは、⾃分の使命ではなく、神様の使命に⽣きたのです。⻑年夢⾒てきた約束の地を踏むことができないのは、⼈間的に⾔えば、無念であり、志半ばであったかもしれません。モーセにとって、地上の⼈⽣において、約束の地に⼊ることよりも、神様とともに歩む⼈⽣そのものに真の価値があったのです。

 

3、ヨシュアへの継承

モーセの後に、新しい指導者のヨシュアが⽴てられます。神様のご計画はモーセ で途絶えるのではなく、継続していくのです。私たちの今の働きは、次の世代の⼈たちへと継承されていくということです。私たち⼀⼈⼀⼈は、神様のご計画の中で、それぞれの使命を担っているのです。御⼦イエスの⼗字架と復活によって、天の御国の⺠として、今を⽣き、永遠に⽣きることのできる恵みを覚えたいと思います。天の故郷において、「よい忠実なしもべよ、よくやった」との御声を頂けるように、主イエスに忠実に仕えていきましょう(マタイ25:14〜30)