「礼拝者の心得」2月13日

  聖⽇礼拝メッセージの要約(2022. 2. 13.)

「礼拝者の⼼得」

レビ記 10章1〜7節

 

「また、あなたがたは死ぬことのないように、会⾒の幕屋の⼊⼝から外へ出てはならない。あなたがたの上に主の注ぎ油があるからである」。彼らはモーセの⾔葉のとおりにした。(レビ記 10:7)

 

1、異なった⽕

ナダブとアビフは、イスラエルの⺠の先頭を常に歩み、神様の御業を⽬の当たり にし、神様のご臨在を体験し、神様を仰ぎ⾒たという、格別に恵まれた者たちでした。しかし、祭司である彼らは、神様の命令に従わず、⾃分の⾹炉を使い、⾃分で起こした⽕をその中に⼊れて、その上に薫⾹を盛って、異なった⽕を神様の前にささげました。彼らがした⾏為は単なる間違いというものではありません。彼らは、 意図的に神様のみことばに逆らい、故意に神様を侮り、冒涜するような礼拝をささ げたのです。それは、彼らの礼拝者としての⼼に問題があったのです。

 

2、主からの⽕

神様は、ご⾃⾝に近づく者、つまり、祭司を通して、ご⾃⾝のきよさとご栄光をあらわされます。ペテロは、「聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい」と記しています(1ペテロ2: 5)。キリスト者たちは、みな神様の聖なる祭司です。神様の御⼼を、私たちに伝え、御業を起こしてくださるのは、聖霊の働きです。私たちは、ナダブとアビフのように、異なる⽕ではなく、主が与えて下さる聖なる⽕、つまり、聖霊によって、 神様に仕えていくのです。

 

3、聖なる祭司として

モーセは、ナダブとアビフの弟たちである、エレアザルとイタマルに対して、「あなたがたの上に主の注ぎ油があるからである」と⾔いました。彼らは、祭司として、神様に油を注がれ、任命された者であるので、どんな状況の中でも、その使命と本分を果たしていくということです。私たちの⼤祭司である主イエスは、神様と私たちの間の仲介者として、⼗字架の上でいのちを捨ててくださり、私たちが神の 祭司として⽣きる道を開いてくださいました。それは、私たちが真⼼から神様を礼拝し、神様に仕え、⼈々に仕えるということです。この豊かな恵みを覚えて、聖なる祭司として、聖霊に燃やされて、歩んでいきましょう。