「神は真実な方」2月6日

聖⽇礼拝メッセージの要約(2022. 2. 6.)

「神は真実な⽅」

出エジプト記 32章1〜14節

「彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、⾃分のために鋳物の⼦⽜を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と⾔っている」。」(出エジプト記 32:8)

 

1、モーセの留守に

モーセがシナイ⼭から下りて来ないのを⾒て、イスラエルの⺠は、モーセの兄であるアロンに、偶像を造るように求めました。イスラエルの⺠にとって、モーセの帰りを待つ時間は、彼らの信仰が試され、忍耐が養われる恵みの機会であったのですが、彼らはその機会を⽣かして⽤いることはしなかったのです。彼らはモーセに依存していただけで、神様を信頼して歩んでいたわけではなかったのです。神様との直接的で個⼈的ないのちの交わりに⽣きてはいなかったのです。

 

2、⾦の⼦⽜

イスラエルの⺠は、貴重な⾦の⽿輪を外して、偶像を造るために惜しまずにささげました。⾃分の願いをかなえてくれるならば、⼤切な財産でも喜んでささげるのです。彼らは、この出来事のほんの数週間前に、神の契約の⺠とされたばかりでし た。それは、主なる神が彼らの神であり、彼らは主なる神の⺠であるという契約です。彼らには、神の⺠として⽣きる指針として、律法も与えられました。しかし、 彼らは偶像礼拝を⾏い、性的に退廃し、倫理性を失い、堕落してしまったのです。

 

3、神は真実な⽅

結果的には、主なる神様は、偶像礼拝を⾏った⺠を撃たれました。しかし、イス ラエルの⺠は、神様の契約の⺠として、捨てられることはありませんでした。パウロは、この事件を引⽤して、「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」と記しています(1コリント10:13)。御⼦イエスの⼗字架の死と復活を通して、神様の真実はあらわされました。神様は真実であると信じる者には、 神様は「のがれる道」を備えてくださるのです。「のがれる道」とは、神様の真実さに出会う道です。キリストの⼗字架の死と復活を通して、神様の真実さに⽣かされている恵みを覚えて、ともに歩んでいきましょう。