「有って有る者」1月23日

聖⽇礼拝メッセージの要約(2022. 1. 23)

「有って有る者」

出エジプト記 3章1〜14節

 

「神はモーセに⾔われた、「わたしは、有って有る者」。また⾔われた、「イスラエルの⼈々にこう⾔いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。」(出エジプト記 3:14)

 

1、主なる神による召命

主なる神は、モーセに対して、イスラエルの⺠をエジプトから連れ出すように命じられました。この命令に対して、モーセは、「わたしはいったい何者でしょう」 と答えました(3:11)。モーセには、かつて、⾃分の⼒に頼って挫折した苦い経験がありました。神様は、「わたしはこういう者だ」と誇るのではなく、「わたしはいったい何者でしょう」と、⾃分の弱さと無⼒さを思い知り、傲慢な⾃我が砕かれたモーセを召し出されたのです。

 

2、主なる神の御名

主なる神は、モーセに対して、「わたしは、有って有る者」と答えられました。 「有って有る者」という御名は、永遠の昔から存在し、今も存在し、また、永遠の未来にも存在するお⽅であるということを表しています。主イエスが、湖の上を歩いて⾈に近づくのを⾒て恐れる弟⼦たちに、「わたしだ、恐れることはない」と⾔われました(ヨハネ6:20)。これは、わたしは「有って有る者」であるから、 恐れることはないと⾔われているのです。主イエスは、永遠なるまことの神であり 、私たちと共におられる神であるのです。

 

3、主なる神の臨在

「わたしはいったい何者でしょう」と問うたモーセは、「わたしは、有って有る 者」という⽅に⾃らを明け渡し、イスラエルの指導者として、エジプトから⺠を率 いて、残りの四⼗年の⼈⽣を全うしました。主なる神は、モーセに、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである」と約束されました(3:12)。主イエスは、「インマヌエル」(「神は我らと共にいます」という意味)と呼ばれています(マタイ1:23)。主イエスはいつまでも永遠に変わることなく、私たちといつも共にいて導いてくださり、私たちを豊かに⽤いてくださいます。私たちは、「有って有る者」である主をひたすら⾒上げて、この⽅を信頼してともに歩んでいきましょう。