礼拝メッセージの要約(2021. 9. 5)
「忠実な教会」
ヨハネの黙⽰録 3章7〜13節
「わたしは、あなたのわざを知っている。⾒よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない⾨を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか⼒がなかったにもかかわらず、わたしの⾔葉を守り、わたしの名を否まなかったからである 」。(ヨハネの黙⽰録3:8)
1、開かれた⾨
主イエスは、ヒラデルヒヤにある教会に対して、「⾒よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない⾨を開いておいた」と⾔われました。主イエスだけが、私たちを神の御国に⼊れることもでき、また、拒むことのできる、絶対的な権威を持っておられるのです。これは、私たちの⼒ではなく、主イエスによって、 教会には、福⾳宣教の機会が開かれているということを意味しています。すべての教会は、主イエスによって、福⾳宣教の⾨が開かれているのです。
2、みことばを守る
ヒラデルヒヤ教会は、社会的には、⼩さく、弱く、貧しい存在でした。しかし、 厳しい迫害の中にあっても、異教の⽂化の中にあっても、主イエスのことばを守り 、主イエスの名を拒むことはしませんでした。主イエスが称賛されたのは、ヒラデルヒヤ教会のその忠実さでした。教会の真の価値とは、⼈数の多さ、経済的な豊かさ、外観の素晴らしさではないということです。教会に真の信仰があるかどうかが⼤切であるのです。真の信仰とは、キリストのみことばを守り続け、キリストの御名を告⽩し続けることであり、その忠実さを、主イエスは喜ばれるのです。
3、勝利を得る者
主イエスは、「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう」と⾔われています。勝利を得る者とは、信仰の戦いを耐え忍び、忠実に主イエスとともに 歩んだ者たちです。彼らは永遠に神の臨在のもとに置かれ、神の臨在に⽣きるものとされるということです。キリスト者の⼈⽣には、霊的な戦いや誘惑があります。 しかし、すでに勝利を賜ってくださった主イエスとともに歩むことこそ、私たちが勝利者として⽣きる道であるということです。私たちのために命を捨て、死からよみがえられ、再び来られる主を待ち望みつつ、真実な主に寄り頼み、キリストのご栄光のために、忠実な教会として歩んでいきましょう。