「新しい明日へ」12月29日

本年最終礼拝メッセージの要約(2024. 12. 29)

「新しい朝(あした)へ」

ヨハネによる福音書 13章36〜38節

 

イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。(ヨハネ13:38)

 

1、十字架の道へ

主イエスは、ペテロに対して、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない」と言われました。主イエスが行かれるところとは、十字架での贖いの死を意味しています。主イエス以外には、誰もついて来ることのできない道です。ペテロをはじめ弟子たちは、世の権力と支配という上昇の道を歩むことに必死でしたが、主イエスは、十字架の愛と赦しという下降の道を歩まれていたのです。ペテロは、「あなたのためには、命も捨てます」と宣言しましたが、自分の熱意や覚悟ではなく、主イエスの恵みによって生きることを学ぶことになるのです。

 

2、主の祈りによって

主イエスは、ペテロの信仰の挫折を見越して、「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と告げました (ルカ22:32)。主イエスによって、祈られてある信仰だからこそ、私たちは信仰生活を歩んでいくことができ、兄弟姉妹の信仰のために祈ることができるのです。ペテロは自分の力によって再び立ち上がったのではありません。主イエスの祈りによって立ち直ったのです。主の祈りによって立ち直ったからこそ、兄弟姉妹たちを力づけることができたのです。

 

3、新しい朝へ

ペテロは、主イエスが告げられた通り、鶏の鳴くまでに、主イエスを三度知らないと言いました。鶏が鳴いた時に、ペテロは、主イエスのことばを思い出して、激しく泣きました。この時こそが、ペテロの信仰の本当の始まりであったのです。新しい朝であったのです。神様の前で、自分の欠けと弱さ、惨めさと醜さを思い知らされ、主の十字架の恵みによらなければ、罪の中に死ぬほかなく、何もできない者であること知ったのです。主イエスは、ペテロに、「あとになってから、ついて来ることになろう」と告げられました。神様に愛され、赦され、生かされている恵みに感謝し、主のご栄光のためにともに歩んでいきましょう。