「神の愛に立って」11月24日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 11. 24)

「神の愛に立って」

ヨハネによる福音書 13章31〜35節

 

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。(ヨハネ 13:34)

 

1、栄光の時

イスカリオテのユダは、主イエスを裏切るために、夜の闇へと消えていきました。それから、主イエスは、「今や人の子は栄光を受けた」と過去形で宣言されました。主イエスの栄光の時とは、ご自身の十字架の時です。主イエスはすでにそれが起こった事として宣言されたのです。さらに、主イエスは、「神ご自身も彼に栄光をお授けになるであろう」と未来形で言われました。それは、主イエスの復活と昇天が示されています。主イエスは、神の救いがこの世に告げられ、神の救いが明らかに示される、新しい時代の始まりを宣言されたのです。

 

2、十字架のもとに

主イエスは、弟子たちに、『あなたがたはわたしの行く所に来ることはできない』と語られました。これは、主イエスの十字架による神の救いは、人間の力の働く余地のない、神の恵みによる御業であることを示しています。一方で、主イエスは、ペテロに、「あとになってから、ついて来ることになろう」と言われています(13:36)。これは、あとから、主イエスが十字架と復活によって開かれた救いの道を歩むことになるということです。それは救いの道であるとともに、きよめの道でもあります。その道を歩み、私たちの自己中心性は砕かれ、キリストのご性質にあずかり、キリストのいのちに生きる者へと変えられていくのです。

 

3、新しい愛

主イエスは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」とお語りになりました。主イエスの十字架によって、神様に愛され、赦され、きよめられているという神様の愛に立って、互いに愛し合うことを求められたのです。私たちの生まれつきの性質では、愛することはできません。キリストの恵みを受けて、救われ、赦され、きよめられることによって、私たちは互いに愛し合うことができるのです。これこそが、キリストの弟子である証であり、教会の力であるのです。キリストの愛に互いにとどまり続け、キリストの愛に生かされて、他の人々をキリストへと導く教会として、ともに歩んでいきましょう。