「わたしの居場所」11月17日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 11. 17)

「わたしの居場所」

ヨハネによる福音書 13章21〜30節

 

弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。(ヨハネ13:22〜23)

 

1、裏切りの予告

主イエスは、弟子たちに、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」と言われました。これまでも、主イエスは、イスカリオテのユダに対して、悔い改めの機会を与えられました。彼は、3年半もの間、主イエスと寝食を共にしてきました。主イエスのそばで、福音を聞き、多くのしるしを見てきました。最後の晩餐の席では、主イエスは彼の足をも洗い、彼の裏切りを予告しましたが、悔い改めることはしなかったのです。主イエスは、ユダの裏切りを、心の思いを超えて、霊において深く嘆き悲しまれたのです。

 

2、愛の呼びかけ

弟子たちのひとりで、主イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていました。この弟子は、ヨハネと言われています。ヨハネという名前は、「神の恵み」という意味です。このヨハネが、主イエスの近くにいたことは、私たちキリスト者が居るべき場所を示していると言えます。神様の恵みを受けた者として、主イエスのうちにとどまるのです。主イエスこそが、私たちの居場所であるのです。キリストにつながり、キリストにある命の交わりに堅く結ばれ、キリストの命によって生きるのです。主イエスの愛の呼びかけに応えて、日々、主イエスを自分の居場所として生きていきましょう。

 

3、命の光の中を

主イエスは、ユダに対して、「しようとしていることを、今すぐするがよい」と言われました。主イエスは、もはや、ユダのために、父なる神に執りなすことはなさいませんでした。もはや、神様から何も言われなくなるという、その時が来たのです。ユダはパン切れを受け取ると、すぐに退席して、暗闇の中に消えていきました。主イエスは、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」と言われています(ヨハネ8:12)。主イエスの愛を受けた者として、主イエスを愛し、主イエスのみことばに聞き従い、命の光の中をともに歩んでいきましょう。