「主の弟子の道」11月10日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 11. 10)

「主の弟子の道」

ヨハネによる福音書 13章12〜20節

 

よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。(ヨハネ 13:16)

 

1、キリストの模範

主イエスは、弟子たちの足を洗われた後、「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ」と言われました。主イエスが、弟子たちのもとを離れる前に、彼らに伝えたかったことは、ご自身の十字架の愛に立って、互いに仕え合いなさいということでした。主イエスは、弟子たち一人一人の足を洗うという行為を通して、その模範を示されたのです。私たちは、十字架の死による贖いという、最も尊い奉仕を受けて、主イエスの愛に生かされているのです。このキリストの模範にならって、互いに仕えていきましょう。

 

2、キリストの祝福

主イエスは、「僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない」と言われています。主イエスとその弟子との関係は、主人と僕、遣わす者と遣わされる者との関係と同じであるということです。これは、その主イエスが弟子たちの足を洗い、十字架で命を捨てられたことを覚えて、仕え合うことを説いておられるのです。「もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである」とは、主イエスの愛と謙遜にならうことは、私たちの祝福となり、周りの人たちの祝福になっていくということです。

 

3、キリストの使命

主イエスは、「そのことがまだ起らない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起ったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである」と言われています。これは、ユダの裏切りでさえも、あなたたちが、主イエスが救い主であり、まことの神であることを信じるために用いられるということです。主イエスは、「わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです」と語っておられます。キリスト者とはキリストの弟子であり、私たちは主イエスの使命を帯びて、それぞれの持ち場へと遣わされているのです。主イエスから遣わされている者として、キリストの愛に生かされている喜びを、思いと言葉と行いによって、分かち合い、伝えていくことができますように祈り、ともに歩んで行きましょう。