聖日礼拝メッセージの要約(2024. 10. 13)
「神からの栄誉」
ヨハネによる福音書 12章37〜43節
しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。(ヨハネ 12:42〜43)
1、人間の不信仰
主イエスは、ユダヤ人たちの前で多くのしるし(奇跡)を行われました。しかし、彼らは主イエスを救い主として信じることはありませんでした。ヨハネは、イザヤの預言を引用し、「神は彼らの目をくらまし、心をかたくなになさった」と記しています。この預言は、救いとは神様の主権と恵みによるものであることを示すとともに、人間の神様に対する不信仰と反逆という罪の本質的な問題をあらわにしています。神様は彼らの執拗な反逆心をその赴くままに放任されたのです。神様の恵みの招きに、悔い改めと信仰をもって応答することが問われているのです。
2、キリストの栄光
イザヤは、十字架と復活のキリストのご栄光を預言しています(イザヤ53章と6章)。主イエスは、「わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」と約束されました(ヨハネ12:32)。「わたしがこの地から上げられる」とは、地上から十字架の主として上げられるご自身と復活の主として天に上げられるご自身の栄光の姿を示しています。神の救いの恵みは、十字架と復活のキリストを通して現されたのです。神からの栄誉を愛し、その御心に従われた主イエスに、神様の栄光が現されたことを覚えましょう。
3、神からの栄誉
ユダヤ人の最高議会の中にも主イエスを信じる者は多くいましたが、その信仰を告白することはしませんでした。その根本的な理由として、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからであると記しています。今日を生きる私たちにも、信仰を告白する上で、それぞれ違った形での試練や困難もあるのではないでしょうか。しかし、教会は、人の栄誉よりも、神からの栄誉を愛して、信仰を告白し、主イエスの御跡にしたがって歩む者たちの群れであり、十字架と復活のキリストを通してあらわされた神様の恵みを受けつつ、神の栄光のために生きる者たちの群れです。私たちに日々注がれている神様の恵みに、いつも信仰の目を向けて、この恵みに生かされて、主イエスとともに歩んでいきましょう。