「みことばの恵み」10月20日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 10. 20)

「みことばの恵み」 ヨハネによる福音書 12章44〜50節

 

わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。(ヨハネ 12:50)

 

1、主を信じる者

 今日の聖書箇所は、主イエスの公的な宣教生活を要約しています。その宣教生活において、主イエスが最も強く訴えられたことは、神の御子であり、救い主である、ご自身への信仰でした。ここには、主イエスを信じることは、父なる神を信じること、主イエスを見ることは、父なる神を見ること、主イエスのみことばを聞くことは、父なる神のみことばを聞くということが明らかにされています。つまり、 神様は、主イエス・キリストを通して、自らを完全にあらわされたのです。主イエスは、神様のみことばと御業が一致した方であり、すなわち、神様であるのです。

 

2、世を救うために

 主イエスは、世をさばくためではなく、世を救うために来られたと言われ、ご自身が世に来られた目的を明らかにされています。主イエスは、「わたしを捨てて、 わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある」と言われています。「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人」とは、主イエスを自分の救い主と信じず、主イエスのみことばを拒む人を指しています。その例として、パリサイ人は、主イエスを信じず、そのことばを拒み、彼らの基準で、神の律法を守っている自分たちに満足し、周囲の人々をさばいていました。私たちは主イエスと主イエスのみことばを信じることによって、神様の救いを受けるのです。

 

3、いのちのことば

 主イエスは、私たちが罪の中から救われ、永遠のいのちを与えられ、光の中を歩むようにと、神のみことばを語り、十字架の上でいのちを捨て、死よりよみがえられました。主イエスのことばは、神のことばであり、それを拒む者には、終わりの日に、さばきのことばとなります。しかし、それを信じて受け入れる者には、いのちのことばとなるのです。それは、私たちに永遠のいのちを与える救いのことばです。主イエスが再び来られる日を待ち望みつつ、聖霊の注ぎと神のみことばによる 養いを受けて、今日というこの日を救いと恵みの日として、主のご栄光のために歩んでいきましょう。